訪問看護は利用者の自宅という密室で、一人のスタッフが単独で対応する場面が多い業務です。この特性から、利用者本人や家族からの暴言、威圧的な態度、セクシュアルハラスメントといったカスタマーハラスメントが発生しても、その場に管理者や同僚がおらず、スタッフが一人で対処せざるを得ない状況になりやすいという課題があります。本稿では管理者が押さえておくべき初動対応の判断基準と、法改正の動き、記録・契約対応の実務を整理します。
カスタマーハラスメントとクレームはどう違うのか
利用者や家族からの要求がすべてハラスメントに当たるわけではありません。厚生労働省のカスタマーハラスメント対策企業マニュアルでは、要求の内容が妥当であっても、手段や態様が社会通念上不相当な場合はハラスメントに該当するとされています。訪問看護の現場で判断に迷いやすいポイントを整理すると次のようになります。
| 区分 | 具体例 | 対応の方向性 |
|---|---|---|
| 正当なクレーム | 訪問時間の遅れへの指摘、ケア内容への質問 | 誠実に説明し改善する |
| 曖昧な境界 | 特定のスタッフの指名継続要求、過度な世間話の強要 | 事業所として対応方針を統一する |
| ハラスメント | 大声での威圧、人格否定、身体的接触の強要、性的な言動 | 組織対応に切り替え記録を残す |
訪問看護の特徴として、生活の場に踏み込むサービスであるがゆえに、利用者や家族との距離感が近くなりやすく、境界が曖昧になりやすい点が挙げられます。管理者はこの境界線をスタッフ任せにせず、事業所としての基準を事前に共有しておく必要があります。
訪問看護特有のリスク要因
訪問看護がカスタマーハラスメントの被害を受けやすい背景には、次のような業務特性があります。
- 単独訪問が基本であり、被害発生時に第三者の目撃者がいない
- 利用者宅という私的空間での対応となり、退去の判断がしにくい
- 長期間にわたる関わりの中で関係性が密になり、境界が崩れやすい
- 認知機能の低下や精神疾患を背景とした言動と、意図的なハラスメントの見極めが難しい
- 契約解除がサービス提供の中断に直結し、利用者の生活に影響するため対応をためらいやすい
特に精神科訪問看護や認知症ケアの場面では、症状に起因する言動なのか、ハラスメントとして対応すべき言動なのかの見極めが求められます。この判断は個々のスタッフに委ねるのではなく、主治医やケアマネジャーを交えたカンファレンスで整理することが望まれます。
法改正でカスハラ防止措置はどう変わるのか
従来、労働施策総合推進法に基づく指針(令和2年厚生労働省告示第5号)では、顧客等からの著しい迷惑行為への対応は事業主が講ずることが望ましい取組として位置づけられていました。これに対して、労働施策総合推進法等の一部を改正する法律の成立により、事業主に対して顧客等からの著しい迷惑行為、いわゆるカスタマーハラスメントについて雇用管理上必要な措置を講じることが義務として明確化されました。
訪問看護ステーションの管理者が押さえておくべきポイントは次の通りです。
- 事業主にはカスタマーハラスメント防止のための相談体制整備が求められる
- スタッフからの相談を理由とした不利益取扱いの禁止が明確化される
- 施行に向けて、事業所内の相談窓口の明確化と対応マニュアルの整備が必要になる
- 具体的な施行時期や措置内容の詳細は今後公表される指針や通知を確認する必要がある
制度の詳細は今後の指針改正で示されるため、厚生労働省やあかるい職場応援団のサイトで最新情報を継続的に確認することが重要です。
初動対応で管理者が判断すべきこと
カスタマーハラスメントが疑われる事案が発生した際、管理者は次の順序で対応を判断します。
- スタッフの安全確保を最優先する。訪問の中断や退去を指示することをためらわない
- 電話でスタッフから状況を聞き取り、身体的な危険の有無を確認する
- 発生した事実を時系列で記録する。発言内容はできる限り逐語で残す
- 主治医やケアマネジャーに状況を共有し、今後の関わり方について協議する
- 事業所として継続、条件付き継続、中止のいずれかの方針を決定する
- 利用者や家族に対して、改善が見られない場合の対応方針を書面で通知する
この一連の流れをあらかじめマニュアル化しておくことで、担当するスタッフによって対応にばらつきが出ることを防げます。
記録に残すべき項目チェックリスト
ハラスメント事案の記録は、後日の契約対応や労務対応の根拠資料になります。次の項目を最低限記録するようにします。
- 発生日時と場所
- 対応したスタッフの氏名
- 発言内容や行為の具体的な内容
- スタッフが取った対応と、その場での結果
- 目撃者や同席者の有無
- 利用者の身体状況や認知機能の状態(症状起因の可能性の有無)
- 過去の同様事案の有無
記録は個人のメモに留めず、事業所として一元管理し、管理者がいつでも確認できる状態にしておくことが望まれます。
契約対応と重要事項説明書の見直し
利用者や家族からのハラスメントが繰り返される場合、サービス提供の継続可否を判断する場面が出てきます。この判断を場当たり的に行わないために、重要事項説明書や契約書にあらかじめ次のような条項を盛り込んでおくことが有効です。
- スタッフに対する暴言や暴力、セクシュアルハラスメントがあった場合の対応方針
- 改善が見られない場合の契約解除の可能性についての明記
- 契約解除に至る前の警告や条件提示の手順
契約解除は利用者の在宅生活の継続に直結するため、単独で判断せず、地域包括支援センターや行政の担当部署、ケアマネジャーと連携しながら進めることが求められます。
スタッフを守るための組織的な取り組み
管理者個人の対応力に頼るのではなく、事業所全体でスタッフを守る仕組みを整えることが重要です。具体的には次のような取り組みが挙げられます。
- 相談窓口を明確にし、被害を受けたスタッフが躊躇なく報告できる体制を作る
- ハラスメント事案が発生した際に単独訪問から複数対応に切り替える判断基準を定める
- 新人研修やeラーニングでハラスメント対応の基本を事前に共有する
- ハラスメントを受けたスタッフへの心理的ケアやフォロー面談を実施する
- 事案の内容によっては警察や弁護士への相談も選択肢に入れる
スタッフが「報告しても対応してもらえない」と感じる状態が続くと、離職につながるリスクが高まります。管理者が迅速に反応する姿勢を示すこと自体が、スタッフの安心感につながります。
まとめ
訪問看護は単独訪問という業務特性上、カスタマーハラスメントの被害が発見されにくく、スタッフが一人で抱え込みやすい構造にあります。法改正により事業主のカスタマーハラスメント防止措置が義務化される流れの中で、管理者には初動対応のフロー整備、記録の徹底、契約書への条項の明記、相談体制の構築といった組織的な対応が求められます。制度の詳細は今後示される指針や通知で更新されるため、継続的な情報収集とマニュアルの見直しを行うことが重要です。
出典
- 厚生労働省 カスタマーハラスメント対策企業マニュアル https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_23566.html
- 厚生労働省 あかるい職場応援団(ハラスメント対策総合情報サイト) https://www.no-harassment.mhlw.go.jp/
- 厚生労働省 事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針(令和2年厚生労働省告示第5号) https://www.mhlw.go.jp/content/11900000/000605661.pdf
